Julian Makino’s diary

人間学的な視点から、主に研究について論じます

練習ではなく生活

先ほど、日本テレビの『スッキリ』で12歳の天才ウクレレ少年の特集が放送されていました。近藤利樹くんはどのようにプロ選手になっていったのか、その秘訣は何だったのか、などが話題の中心でした。

 利樹くんは、小学生の間、1日に2~3時間の練習を欠かせなかったそうです。本人は練習をしている感覚などないようで、ウクレレが生活の一部となっているようでした。つまり、効果的なメソッドを用いてウクレレが上達した訳ではなく、ウクレレに夢中になっていることが練習を苦痛な訓練として置換されず、自然と毎日ウクレレと触れ合えるようになったようです。

ここまでは、よく議題に挙がる話だと思います。本人がやることは、本人の意思の下で決めていけばいいという考えは親なら誰しもが思うところでしょう。しかし、それだけではまだ不十分です。子どもが心から楽しいと思える対象を見つけても、それが子どもの暮らす環境に根差していなければ、好奇心は発展していきません。

利樹くんの母親は、ウクレレをリビングのソファーに常に置くようにしたそうです。利樹くんからすれば、好奇心の対象が常に生活の中にあるというのはとても嬉しかったのでしょう。子ども本人が持つ「夢中」と生活の一部にあるという「環境」がかけ合わされて、プロのウクレレ少年は生まれたのではないでしょうか。

そう考えると、「天才」という文言はどうも違和感を覚えます。もちろん、利樹くんにそれなり資質はあったのかも分かりませんが、私には絶対的な天性があったというよりも、興味の対象を探し出し、好奇心が自然と伸びていく環境を整えたことに要点があると思うのです。

両親にとって肝要なのは、①子どもが好奇心の対象となるものを探し出せるために、多様な経験に触れさせること②その対象を生活の中に取り入れること、ではないでしょうか。