パルパルパピヨン’s diary

なんでも書くのです。

教育の視点 -子どもをどういう対象としてみるか?-

皆さんが必ず通る「教育」という道はどのようなものでしたか?あなたは友だち先生やかかわっていく中で、どのように成長していきましたか?今回は私の専攻の授業内容から、日本の教育とはどのように始まり、実施され、どのような問題点が現在にあるのかなどを考えます。

ではまず現行の教育制度はどのように始まったのかを見ていきます。学校制度は明治時代に、大久保利通の指導の下、西欧の「近代化」に遅れてないよう一般市民を訓練することが急務だとして始まりました。当時、大久保が公式に政府へ提出した「意見書」や「建書」によると、「無識文盲ノ民」、「無気無力ノ人民」などの文言が見られます。つまり、「教育のはじまり」とは、人々が無能であるという前提の下で、無能な民を教え導くこと(教化主義)を理念として掲げられたといえます。これは皆さんの教育に対するイメージと合致しているのではないでしょうか。

 教育が無能な民を有能な人材へと導くことを根幹としており、またその環境の下で児童期や青年期を過ごしていたので、この教化思想は私たちの「気質」にまで埋め込まれていると考えられます。他者を自分と同じ「尊厳ある人間としての存在」として接することが私たちにはできなくなっているのです。或いは、自分が人間としての存在であることにも忘れてしまってはいないでしょうか。私にはそれら発露が、世の中で巻き起こる殺人事件や自殺問題、戦争のように思えます。

 今、必要なことは教育の前提を問い直すー「人間とはどのような存在か?」という問いから、教育システムを作り直すーことです(人間は「無気無力ノ人民」ではない)。そのために、僕は大学院で学んでいます。皆さんも、近くの人々が発している人間的な「訴え」と素通りせずに向き合ってみましょう。人間としての存在である「私」と「他者」を実感していきましょう。これらは小さい時に出来た当たり前のことですが、「教育」によっていつの間にか出来なくなっていたことです。私たちは人間として生まれ、人間として生きなければなりません。