パルパルパピヨン’s diary

なんでも書くのです。

ピアジェ理論の破綻と人間観

 シリーズの最後に、なぜピアジェ理論は破綻したのか?を考えたいと思います。そこにはピアジェの人間観―ピアジェは人間をどういう存在として捉えていたか?―が大きく関係すると考えられます。

 では、ピアジェのキャリアから探っていきましょう。シリーズ1でもお伝えした通り、ピアジェ生物学者で、ものごとの自然な成り行きを観察・記述する観察法をとっていました。ここで重要なのは、ものごとがどうなっていったのかを、客観的に記述したという点です。「三ツ山問題」「数・量の保存課題」「誤信念課題」のいずれにおいても、子どもたちに問題の設定を客観的に伝えたということです。そこには、子どもの問題理解への配慮や子どもとかかわろうとする応答は全くなかったでしょう。ピアジェは子どもを人間として見ずに、すなわち「観察物」とみなして実験したのです。ここがこのシリーズの論点です。

 反証実験を思い出してください。「三ツ山問題」では子どもは「どうしてそんなことが問題になるのだろう…」と感じたはずです。一方、反証実験では「泥棒の僕が警察官から逃げるにはどうしたらいいだろう?」と子どもは思考でき、正答を導けました。「数・量の保存課題」では「ヒビが入っちゃったからコップを変えようと思うんだけど…」と、水を別のコップに移す作業に子どもが納得のできる理由が添えられていました。「誤信念課題」の反証実験であるオオニシ・バイヤルジョン実験では 、実験者が子どもと好意的に「かかわろう」としてかかわり(当然、赤ちゃん側もかかわりたいでしょう)、実験状況を「不思議がる」反応が見られました、つまり意図と反する状況であると分かったということです。これらの反証実験の実験デザインに共通することは、子どもの理解が得られる問題設定を行ったこと、実験者が子どもに応えようとかかわったこと、という二点が挙げられます。ここで、実験者が実験参加者(子ども)とかかわってしまったら、実験参加者の具える性質がそのまま現れないのではないかと疑問を持つ方がいらっしゃるかもしれません。しかし、「子どもが他者とかかわろうとする存在」である以上、実験者が子どもに応えることもまた子どもらしさ、つまり実験参加者の性質の現れを引き出すと考えられるのではないでしょうか。

 ピアジェの実験には根本的な誤りがあったのです。人間である実験参加者(子ども)を人間としてみないで実験したのであれば、人間としての発達段階が示されたとは言えないでしょう。つまり、ピアジェの理論は人間の発達の傾向を示すに留まり、「発達の本質」には至っていなかったといえます。しかし、ピアジェ理論が全くの無意味な産物であったと言うつもりは全くありません。前述の通り、人間の発達を体系だったものとして発表したとても優れた理論ですし、発達の大局的な枠組みとしては確かに機能します。

 問題なのは、私たちがこれを盲目的に万能な理論として受け取ってしまうと、大変なことになることでしょう。例えば、今回の例でいうと、世間一般の人は5歳までの子どもを「自己中心的であり他者の心が分からない存在」とみなしてかかわることになります(しかし実は、子どもは他者の心が分かっている!)。人間としてではなく、それこそモノのように扱われた子どもたちは反発してしまうのは無理もないことです(さらに、この「反発」も自己中心性の根拠とされると、負のサイクルから永遠に抜け出せません)。

 私の大学院では「子どもを人間としてみること」を理念に掲げています。言われれば当然なのですが、人間を研究対象とするのであれば、「人間とはどのような存在か」という問いなくして人間にまつわる研究の発展や深まりはないのではないでしょうか。「他者を人間としてみること」…人間が関わる活動のすべてはこの言葉の延長線上に来なくてはなりません。その活動のさらに延長線上に、豊かさや幸せが広がっているのではないでしょうか。