パルパルパピヨン’s diary

なんでも書くのです。

『おしゃべりK子』を読んで

『おしゃべりK子』[1]を読んだ。これは小嵐恵子氏[2]の障がい児教育の実践報告だが、氏が失敗したとお考えだったことも含めて、氏とK子の成長が熱を込めて語られている。要約する。

K子の障がいについてはあまり述べられていないが、肢体不自由重複学級の生徒のようだ。氏はK子と20日間の共同生活を行った。

かかわりの当初、氏はK子にいろんな事をしてあげようとした。車椅子に座っているK子を下ろさせてあげようとしたり、絵本を読ませてあげようとした。しかし、K子は氏が期待するような反応はせず、むしろ急に手に力を入れ、次々に周りをキョロキョロと見まわすなど、氏にとって困った反応を見せた。その反応を受けて、氏はこのように記述している。この思想は重要だと私は考えているので、ここでそのまま引用する。

 

数日K子と接していて、私はまず、彼女に対して失礼な対応をしていたことに気が付いた。彼女に対して「~を見てごらん。~を触ってごらん。~を聞いてごらん。~をしてあげたら喜んでごらん。反応してごらん」といった対応をしていた。(下線筆者)

 

ここで、氏が「失礼な対応」と言っているのは、すなわちK子の気持ちを尊重せず、K子を興味を惹かせる対象としてかかわっていたことであり、それをK子は全く求めていなかったとK子の反応から感じ取れたことを指すのであろう。この後、氏はK子にも人間としてかかわっていきたい世界があるのだと気づき、かかわり方を変える。そのかかわり方とは、K子がわずかでも見たもの、視線を向けたものに対して、説明を加え、共感の言葉を添えることである。その結果、氏はK子の行動(成長)の変化を、氏自身の語る言葉の変化により知り得ることとなる。

氏の言葉の変化は以下のように変容していった。K子の見ているものが「何であるか」(例えば、『絵本だね。テレビだね。』)。K子の見ているものに対する「語りかけや説明口調」(例えば、『○○は今お茶碗を洗うんだよー。』)。活動をK子が「予知する」(例えば、定時の前にK子が車椅子をじっと見るのを見て『はやく乗りたいのー?』)。これらの会話のスタイルの変遷を経て、氏はK子の視線から彼女の気持ちを代弁していく中で、K子の視線が一定時間定まっていること、つまり注視の時間が長くなったことに気がついた。

氏はこの実践の締めくくりとして、子どもが持っている行動を大切にすること、さらに言葉の大切さを説かれている。子どもの持っている世界を大切にしてあげることが、新しく私たちとの世界を形づくることとなり、子どもが見ている世界に言葉を添えることで、私たちは子どもの世界をかいま見ることができるのである。

 

[1] 障害児教育学研究2巻2号pp.8-12(1995年)

[2] 小嵐さんは現在、福井大学客員教授を勤めていらっしゃいます